カバー

はじめに

本書は、194060年代に製作された主にドイツの民生用スピーカーユニットとそれを使用したシステムについて紹介することを第1の目的としています。

私の55年に及ぶオーディオ熱中時代の結論として「中小音量ではドイツ製ビンテージユニットによるシステムを製作することにより、他の多くの高価なシステムに勝るとも劣らない究極の音質を持つスピーカーシステムを6万円以内で実現出来る」ということです。それを可能とする主たる要因はユニットの持つ驚異的な性能と音楽性によるもので、現代では簡単に実現できないものです。それを知っていただくことが第2の本書の目的です。「数百万円をかけて現代最先端のスピーカーとアンプを手に入れたが、期待とは裏腹の生気のない音を聴かされて失望している音楽ファン」の方にも是非参考にしていただきたいと考えました。

米国のウェスタン エレクトリック社(Western Electric、以下WE)の初期の製品について「人間が作ったものと思えないほど素晴らしい造りと音」と言われることがあります。状態の良いWEのシステムを何回か聴いたこともありますし、自身で5年ほど555ドライバーを中心としたシステムを愛用していたので同じ感想を持っています。しかしながら、それらは劇場用の業務用装置であるため高価でなかなか手に入らないだけでなく、常に最高のコンディションに保つには絶え間ない調整が必要となります。

これに対し民生用ドイツビンテージスピーカーユニットは製造から60年以上を経た今日でも最高のコンディションを保っているものが多く残っています。その音質、測定データの両面から「人間技」とは思えません。まさにサブタイトルの通り「宇宙人が創ったのか?」という感想さえ頭に浮かぶ逸品ぞろいなのです。以下、私のオーディオライフを簡単に紹介しながら、以上を分かりやすく説明していきます。

 私は現在67歳ですがスピーカー製作遍歴は長くて55年以上になります。最初のディープインパクトは中学の夏休みでした。当時は甲府市に住んでおりましたが、なぜか近くの「ひなびた電気屋」さんにパイオニアのPIM-16Kという16cm口径の変形ダブルコーンフルレンジユニットのキットが突然出現しました。私の記憶では下記サイトに詳しく掲載されているものと同じですが、記事には1974年発売と書いてあります。私が手にしたときは1968年位ですので下記とは異なる、さらに昔のキットなのかもしれません。

https://audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/unit/pim-16kt.html

 このユニットは、マグネットはアルニコで磁気回路カバーがつき、塗装もミリタリーグリーンの非常に格好が良いものでした。コーンは今見てもとても不思議な構造をしたダブルコーンでした。ツートーンカラーで高音用のサブコーンのエッジがウーハーのコーンに接着されていました。それを苦労しながら何とか組み立て、夏休みの課題で作った6BQ5という真空管によるシングルエンドパワーアンプに繋いだところ大変素敵な音が出てきて、とてもうれしかったことを覚えています。ちなみに、当時は中学生でもステレオアンプやアマチュア無線の送受信機を当然のことの様に作っていたのです。

しばらくは箱の無い裸のユニットだけで音を聴いていましたが、当然のことながら低音がほとんど出ません。当時熟読していた「子供の科学」という月刊誌を隅から隅まで読んだところ、ステレオできちんとした音を出すには正確に設計されたエンクロージャーが必要なことが分かりました。そういえばKITの説明書にかなり細かい設計図が載っていた記憶があります。

当時はまともな工具も所有しておらず、また木材もどうやって入手したらよいかわかりません。そこで思い切って近くの木工所に行って、作業中の年配の職人さんに「この箱 =(実用的密閉箱)を作って頂けませんか」とずうずうしく、かつ恐る恐る頼んで見ました。断られると思っていましたが、思いがけず「面白そうだな」と言って、それまでやっていた作業を中断して製作を開始してくれました。

製作は魔法の様に手際よく2時間位で完了したと記憶しています。出来上がった格好良い2本のエンクロージャーを大事に家まで持ち帰り「虎の子」のPIM-16Kを装着しました。そして当時最新のJAZZであるマイルスデイビスの「マイルス イン ザ スカイ」という、ジャケットがサイケデリックで最高に格好の良いレコードの1曲目「スタッフ」を聴きました。驚きました。それまでは小さなラジオと同じような音しか出なかった16cm口径のフルレンジから、本格的な音楽が聴こえてきたのです。特にロンカーターのウッドベースとエレクトリックベースが力強く唸って出てきたのに感激しました。もちろんマイルスグループの演奏もそれまで聴いたことのなかった格好良いものでしたのでその相乗効果だったと思います。これが始まりです。

それ以来、いろいろ試行錯誤しながらスピーカー遍歴を重ねました。1987年頃に自宅を新築し念願の専用のリスニングルームを作ることができました。JBL4343という大型スタジオモニター4Wayにさらに15インチウーハー2231Aを追加したシステムを導入したのが2番目の大きな驚き体験でした。

当時はバブルの真最中でしたので、私の様な普通のサラリーマンでも人並みに高価なスピーカー、アンプの導入が可能だったのです。アンプは米国McIntoshMC-2500という型番のもので1台で1000Wも出せる「化け物」みたいな機械で、それを2台使ってマルチでドライブしました。その結果はすさまじいものでした。「家のブレーカーが頻繁に落ちる」など大変でしたが、音は椅子から転げ落ちるほどの迫力と実在感があり、それまでのシステムとは異次元のものでした。この時点で「もうこれ以上の音はない」と確信しオーディオへの投資はいったん休止しました。

その後、会社員から大学教授に転職することになり静岡に転勤しマンションで暮らすことになりました。部屋が狭いので「大規模オーディオはあきらめるしかないな」と思い、最初の頃はラジカセに毛が生えたような簡単なセットで聴いていました。

私の専門は「情報基盤」「オンライン教育」「並列コンピュータ」「人工生命」「複雑系」などの研究で、外国の先生方との共同作業が頻繁にありました。そのなかでドイツのS先生と趣味の話をしていたところ「ドイツの1950年代のスピーカーは音が良いよ。中小音量なら世界最高だよ」と聴きました。半信半疑で「本当?」という感じでした。当時、私は「欧州のスピーカーはクラシックには良いかもしれないがJAZZには向かないのでは?」という偏見が根拠もなくありました。

するとS先生はドイツからスピーカーユニットを1ペア送ってくださったのです。それはTelefunken社が1950年代に製作した180mm×260mm口径のフルレンジでした。安物の鍋の蓋みたいな頼りないフレーム、小さなマグネット、フィックスドエッジの頼りない軽量コーン、さらに入力端子は取付けが簡単なリベット止めだったためフレームから取れてしまっていてぶらぶらしている始末でした。

「こんなものから本当に良い音が出るのかな?」と、ほとんど失望に近い感じを受けました。それでもS先生の顔を立てないといけないので、簡単な箱に取付けDENONの普及クラスのプリメインアンプに繋げ、いつもレファレンスで使用しているPim JacobsJAZZピアノトリオの名盤「Come fly with me」を聴いてみました。

その結果は強烈な「ガーン!」でした。長いオーディオ人生のなかでも最も驚くべきものだったのです。何に驚いたかというと、上記のJBL大型4Wayとほぼ同じ音の形をしているのです。そして音源が1点ですので位相の回転もなく、小音量でも音形が崩れません。力強い低音、輝かしい高音、実在的なピアノの響き。次々にCDをかけてみましたが、その印象はさらに良いものになっていきました。

 その後、ドイツやほかの欧州の国から音のよさそうなユニットを次々に入手しては箱を作り少しずつシステムの音を改善していきました。ドイツ以外の国のユニットも素晴らしい音がするものが多かったのですが、やはり東西ドイツの製品が素晴らしいことが分かりました。ここではマグネット、フレーム、コーンなどの分業が進んでおりスピーカーメーカーやアセンブル企業が多く、製品種類も膨大、かつ音質も優れているものが存在していることが分かりました。そういうわけでその後の15年間で、実に1500システム以上を製作し、音の良いものはオークションで販売してきました。

 本書では、これらの一部ですができるだけ多くのシステムを紹介していきます。カラー写真を豊富に活用しましたので、ユニットの詳細構造やシステムの外観などが分かりやすくなっており、見ているだけで楽しい書籍になっているかと思います。本書で紹介しているユニット、システムにご興味を持ちましたら入手していただき是非「中小音量での究極の音」を体験してみてください。

 

  令和2820

 著者